「あは。いっぱいします?」

やたら嬉しそうな彼女をこれからどう扱っていいのか解らなくて。結構長く悩んだ。
けど結局、何も変えない事にした。それが一番、楽だった。
頑健な印象を持たれる事が多い俺が入院。学校の友達が面白がって見舞いに来てくれて。
その時のクラスの男女比が4:1くらいだったから、必然的に学内の友達は女の子が多くて。
彼女はそれが気になって。
「…もしかしてもてる方ですか?」
そんな訳は無くて。
七割方は俺の見舞いにかこつけて彼女を見に来てるって感じで、それ説明したけど、
男女比が異常に偏るのに彼女は納得がいかないみたいで。何か落ち着き無くして。
困ってたらバイト先の人が来てくれて。女の子ばっかりじゃないと言えて。助かった。
バイト先の人達はみんな来てくれたし、実習の指導員してくれた人までわざわざ来てくれて。
気にかけてくれる人がたくさん居てくれて。かなり励まされた。
四日間点滴だけで。五日目から徐々に食事戻して、一週間。やっと数値が戻って退院出来た。
入院中に体重が七㎏減ってて枯れた感じ。その上にさらに食事療法を言い渡されてて。
退院前に医師と栄養士さんに指導受けて。一週間は蛋白質や油物は控えるようにと言われて。
病院の食事が、肉と油殆ど無し。反動来てて。喰いたい物はたくさんあったけど、

「控える」と言う言葉を「無い方がいい」
と理解した彼女にかなり厳しく見張られて。
買い物行ってお総菜とか手伸ばしても、ん…っと下から強い目向けられると、手に取れなくて。
俺が諦めると、よし。って感じで表情緩める彼女がいて。監視付き仮釈放。そんな感じで。
けど病院では周りの目があって距離あけてた彼女が、部屋では横来てくれて。
体寄せてきて。俺の手捕まえて。腕くぐって。胸に顔乗っけられて、思わず肩、腕で包んで。
久しぶりに彼女の髪の匂い感じる距離。こっそり髪に鼻寄せて、吸い込んで。
それで落ち着いてたら、不意に腰触られて。くすぐったくて。思わず体よじった。

「痩せちゃいましたね。」

「戻さないと。」

頷く彼女に流れで

「肉喰っていい?」
聞いたら、

「あは。治ってからですよ。」

キッパリ言われて。これはもう駄目だと思った。
けどやっぱりガッチリ見張られてるとちょっとイラッと来て。でも直には言えず。

「きつすぎだよ」
だったか
「やりすぎだよ」
だったか、背中に小声で言ったら、聞こえてて。
振り返って。視線落として。でもすぐ俺見上げて、薄く笑って。言葉、絞り出して。

「お、お医者さんの言う事聞かないでお母さんみたいになったらやだもん。」

斬りつけるような言葉で。何食いたいとかそんな事は、口が裂けても言えなくなった。
お婆さんは痩せたままの俺見て
「全然食べんのもええ事ないんやない?」
って心配してくれて。

「ごめんね、言い出したら聞かんのは母親似やからね。」
そう言って目、細めて。
だんだん彼女がお母さんに似てきたのを喜んでて。お母さんがどんな人なのか、
俺はあまり知れなかった。けど彼女見てると、意思の強い人だったんだろうなと。そう思った。
退院して四日目か五日目が土曜で。昼前に親父が来てくれて。当然、彼女も居る時で。
二人が会うのは、お母さんの納骨以来。二人が話したのは、軽い挨拶程度だった。
後は俺の体調の事とか入院費用の事とか、保険の請求があるから領収書取っておけとか、
無理はするなとか、就職活動どうだとか、無難な事で。電話で済むだろ、って感じの内容で。
それよりも話してる間、彼女がずっと正座で姿勢良すぎて。不自然すぎて。おかしくて。
お婆さんに挨拶する、って言って親父が部屋出てから、
「何で正座?」
って聞いたら、

「あは。ちゃんとしないといけないかなって。」
意識しすぎだと思ったけど、とりあえず撫でた。
お婆さんと親父と、どんな話してるのかとやっぱり気になったけど、夜になって電話があって。
彼女の事を
「明るい顔になってたなぁ。」
親父も言ってて。お婆さんに感謝されたと言って。

「よくやったよ、お前。」
何したつもりもないけど、何か役に立ってるんなら、嬉しくて。
親父は彼女と俺の事については、何も言わなかったけど、最後に一言。これはちょっと重く、

「いいお兄ちゃんでいろよ。な。」
後で含まれる意味を深読みして、悩んだ。
退院して一週間後、病院で採血して、結果良好で完全回復。思った事は、やっと肉が喰える。
検査結果見て貰って、顔全部で笑う彼女に
「牛丼喰っていい?」
聞いて、許して貰って。
脂気無い生活からいきなりで、胃も小さくなってて、食べあぐんで。並盛り少し残した。
牛丼が初めてだった彼女、重そうに丼持って
「おいしい。」
言いながら頑張って全部食べて。
彼女より喰えない自分に驚いて。ショック受けて。でもそのくらいしないと治せなかったのかなと、
退院してからの一週間、看病と言うか監視をしてくれた事を改めて彼女に感謝して。

「埋め合わせするから。」
そんな意味の事を言ったら
「いっぱいお世話になってますから。」

だからお礼言う必要もないしお返しとかいらない。その一点張りで。何もさせてくれなかった。
あの入院以来、家族ぐるみと言うか、俺と彼女とお婆さんだけの付き合いでは無くなった。
特におかんと彼女の連絡は、頻繁になって。二人が電話で長く話してると、何か妬けた。
社会復帰して、徐々に体も慣らして。体重は一ヶ月くらいで元に戻って完全復活。
卒論仕上げて出席も単位も足りてたから講義とかにも行かずに就職活動に集中。
どこで就職するかというのが問題になって。親父とおかんにも一応相談はした。

「まさか帰ってくるつもりじゃないよな。」
その言葉で予定通りアパート近辺に絞って探し始めて。
今思えば物凄く楽観的で。何とかなるだろうとたかをくくって淡々とやってた感じで。
それでもそこそこ体格のある男と言うのは介護の現場では重宝がられるからか、
履歴書と健康診断書提出してそれで落ちるなんて事はなかったし、面接の感触も良かった。
結果、三施設から内定貰って。老健か病院併設のリハビリ施設かで悩んで。
人を治す仕事に関わりたい気持ちが強かったので、病院の方を選ばせて貰った。
学校終わって直接うちに来た彼女に報告したら
「えっと、どこですか?」
勤務地をまず聞いて。
住所言って、地図見せたら改めて
「おめでとうございます。」
言ってくれて。
喜んでくれてるかと思ったら、突然すっと涙流して。えー!?って感じで、慌てて。

「ちょっと待って、待って、何で?」

「あ、えっと…あは。」
ペタ座りして、放心して。
時々
「おーい。」
とか声かけても
「…あは。」
力無く笑うだけで。もう、撫でるしかなくて。
張りつめてる彼女は結構見てたけど、抜けきった彼女を見るのは始めてで、ちょっと意外な顔で。
帰らないと言ってはあったけど、まだ不安を感じていて。彼女らしく、表には出さないでいて。
でも就職ちゃんと決まって、安心して。それで一気に、気持ちが弛みきったみたいで。
彼女が動く気配が無いから、食事作ったりして。食べさせて。やっと少し、戻って。

「もう大丈夫?」

「…です。」

「驚いたよ。」

「…ごめんなさい。」

妙にしおらしい彼女がいて。
俺の表情伺いながら、何度かためらって。やっと自分から口開いて。

「えっと。これからも一緒にいてくれるんですか?」
まだ少し目に不安さ感じて。

「そのつもり。」
努めて普通に答えたら
「つもりって何ですか?」
問い詰められて。
照れくさかったけど
「一緒にいてよ。」
言わされて。やっと、普通に笑ってくれた。
就職内定が十月半ば。早く決まって安心はしたけど、二月からは土日に研修が始まって。
三月末までには現場に出られるレベルになれなければいらないよと、要するにそう言う事だった。
卒業試験と学校内の資格試験は勿論絶対に落とせない。そう思ってはいたけど危機感を持てなくて。
結局バイト中心の生活。仕事して帰ったら彼女がいて。夕食食べて。送り返して。

「あんたらもう一緒に住んだら?」
お婆さんに冗談で何度も言われたけど、さすがに無理で。
ちゃんと家に帰らせる事が最低限の義務と言うか。守らなきゃならない一線のような気がしてた。
家の方にも内定決まったと連絡したら、親父は
「よくやったよ。」
いつも通り、一言だけで。
後は就職したらなかなか休みも取れないんだろうし、今年は帰って来いよと。それだけで。
長いこと婆ちゃんにも会ってない、自由に休めなくなる。その年は年末年始に帰省する事にして。
おかんが勝手に彼女と話し進めてから
「帰るんなら二人にも来て貰う?」
俺に言って。
一緒に帰る事になりかかってたんだけど、俺の家に本家のおばさんから電話があって。
久しぶりだったんで就職の事とか学校の事とかちょっと話して。話が彼女の事になって。
婆ちゃんに聞いたと言って。
「可愛い子や言うてね。」
言われて照れたら、

「でもいかんよ。ええほど遊ぶだけにし。」
何の事か解らなくて、黙ってたら、

「親の無いようなのと一緒におったて、出ていく物は全部こっちからになるんやからね。」

「頃合い見て別れんとね。捨て銭いるようやったら、出すけんね。」

受話器持ったまま絶句して。
嫁は私が探してるとか、暫く街で遊んだら帰って来て本家継げとか、意味がわからなくて。

「ごめん今日は切るから…。」
それだけ言って、とりあえず親父に電話したら、

「やっぱりかよ。」
その言葉で予測出来てた事だと知ったて、事情を聞いた。
本家のおばさんは父方の親戚筋で、農家。子供も孫も女の子だけで。跡取りが無くて。
何故か俺に目を付けて、小学校上がる前頃から俺を養子に出せと言い続けてて。
親父は断り続けてたけど専門学校入ったあたりで
「いらん事を」
と切れだして。
更に彼女の事を聞いて、激怒して。帰ってこないのは彼女の所為だという事になってて。
それ聞いて、俺にはやさしい人だったから、かなりショックだった。
本家の周辺では、葬式の時に跡取りが最前列中央に座って最初に焼香をする言う習慣があった。
今は形だけで、一番若い男子がその役。親戚内に男が産まれなくて、俺はずっとその役で。
でも本家のおばさんだけは決まり事だと言い張り、俺が本家の跡を取るのが筋だと言いだして。
それが行き違いの最初。俺の知らない所で、親父はずっとおばさんと揉めていた。
親父が梃子でも動かないから俺を動かそうとして。毎日必ず夜中に電話がかかってきて。
おばさんは車買ってやるとか、毎月十万小遣いやるとか言って俺を揺らそうとして。
でも結局言いたい事は
「彼女は捨てて帰って来て本家の農家を継いで。」
そう言うことで。
彼女とは別れる気は無いと言っても
「子供がでけたらまた面倒増えるのよ。」
唖然とした。
おばさんは俺と彼女が既に男女の関係だと思い込んでて。その部分はいくら否定しても無駄だった。
俺が
「別れません。」
としか返事しないと、彼女に弱みでも握られてるのかと言い出して。

「私が直に話したてあげようか?」
勢い込んでたからちょっと強く止めたら、泣かれて。

「働く言うなら居らしてやってもはええけどそれじゃいけんの?解ってや、家には入れれんのよ。」

最大限の譲歩のつもりだったんだろうけど、中二の女の子に対して考えるような事じゃなくて。
キッパリ帰らないと告げると、俺が彼女から離れるならなんでもいいという感じになって。
おばさんが彼女を汚い言葉で貶めるのを聞くのは、明らかな嘘と解ってても辛かった。
俺にはおばさんを止める事が出来できなくて。親父にどうにかならないかと泣きついて。
親父が激怒しておばさんに止めるように言うと、親父とおかんは本家から勘当されてしまった。
おばさんは、本家と切れると脅せば慌てると思ってたらしいけど、親父もお袋も全く動じず。
事が思うように進まなかったおばさんは錯乱して、親戚中に電話かけまくって。
俺が変な女に掴まって家が滅茶苦茶になった、なんて吹聴して。他の親戚が心配してくれて。
俺や親父に電話したり直に来てくれたりもしたけど、事情話せば理解してくれる人が多かった。
親戚内で相手にされなくなり、同居してた本家の姉さん夫婦も子供連れて別居する事になって。
それ以後は、音信すらなくなった。六日間での出来事。全然頭がついていかなかった。
その年の彼女とお婆さん伴っての帰省は中止になった。
婆ちゃんが彼女の事をおばさんに話したのを気に病んで体調崩して寝込んでしまってたし、
おばさんが実家に彼女が居ると知ったら何かしてくるかも知れないと、親父が不安がって。
おかんが婆ちゃんの体調を理由にして彼女に謝って。彼女は残念がってたけど、

「お大事にってお伝え下さい。」
婆ちゃんはそれ聞いて、ずっと泣いてたと聞いた。
婆ちゃんは本家のおばさんと歳近くて仲良かったから、一番辛い思いしたと思う。
俺がおばさんを納得させる事が出来ていたらそんな事もなかったし、
おばさんが孤立してしまうような事も無かった筈で。何もできなかった自分が情けなくて。
彼女には内緒で俺だけで朝一の電車乗って、晩に間に合うように帰る手筈で実家に帰った。
婆ちゃん見舞って。謝られて。泣かれて。気にしてないよと話して。就職の報告して。
親父とおかんにも謝ったけど
「お前が謝ったらいかん。」
怒られて。彼女を守れと強く言われて。
親父が仕事で必要になるから携帯買って、電話は止めろと言った。そここまでしなくてもと思った。
まだ、おばさんも時間経って落ち着けば理解してくれて、元通りになれるんじゃないかと思ってて。
でも
「あの子の耳に入る事が無いようにだ。」
そう言われると、従うしかなかった。
彼女が帰ってくる時間に何とか間に合って。家で何事も無かったかのように装ってたけど、

「お帰り。」
言って座ってたら、横来ても座らずに、膝立ちで頭に手乗せて。撫でられて。

「どして?」

「なんとなくですけど。」

何かおかしくて。

「逆じゃね?」

「たまには。」

多分平静装いきれてなくて。婆ちゃんの事だけでなく他に何かあったと、気付かれてて。
どんな意図だったかは解らないけど、とにかく優しい手で。されるがままになってたら、
軽く頭抱えられて。よしよし。完全にそんな感じで。泣きそうになって。

「いいですよ。」
彼女の言葉に首振ったけど、そのままでいてくれて。何とか我慢できて。
彼女の優しさは嬉しかったけど、かなり反省した。この子に気遣われたらいけないなと。
どうにか前向いて進める精神状態に戻せて。試験勉強にもやっと、力入れられた。
帰れなかった年末年始は、彼女とお婆さんの部屋で一緒に過ごした。
部屋暖かくして。こたつ入って。テレビ見ながら、年越しそば食べて。ごく普通の年末。

「ゆるい正月やね。」
ぜんざい用の栗剥きながら、お婆さんが言ったのが印象に残ってる。
近所の神社で学校の友達と合流して初詣、そのまま新年会の約束してて。彼女も一緒で。
入院の後くらいから、見舞い来てくれた何人か彼女と仲良くなって。集まりにも呼ばれだして。
女の子達は俺と同年齢か少し上だから、彼女にはお姉さん的な感覚で世話やいてくれて。
今思えば、学校以外は殆どの時間を俺かお婆さんとしか過ごしてないってのは、普通じゃなくて。
人と会って話す機会が増えたのは、教育上?いい事だったのかなとも思う。
でも結構いらん事も吹き込んでくれて。困る事もあって。と言うかそれを楽しまれてて。
酒入ってくるとだんだん話題がやばい方向になる事があって。新年会がまさにそれで。
一番広い部屋住んでたやつの所に集まって部屋飲み、あとは自由って感じの新年会で。
俺が男二人と鍋の後始末やってる時に、彼女が何人かに部屋連れ出されて。
戻って来てすぐ脇に来た彼女、顔赤くて。妙に近くて。これは何かあったなとすぐ解って。
でも今聞いたらやばいと何か直感的に感じて。そのタイミングでは聞かずにいた。
色々やってて、彼女の瞼が落ちだしたのが四時くらいで。俺らは先抜けする事にして。
タクシー呼ぼうとしたら
「勿体ないです。」
彼女が言ったから、距離あるけど歩く事にして。
不意に彼女に手を繋がれて。外ではあんまりしない事だから、ちょっと戸惑って。

「さっき、何話した?」

「はい?」

「部屋出たとき。」

「あ、う。え、えっと。」
異常に動揺して。

「ん?」

「え、あは。お兄ちゃんとどこまで進んでるのかとか。」

あのバカ共はと。 さすがに呆れてたら

「でも、ちゃんと、まだ何もして貰ってないって言いましたから。」

ほてった顔で一生懸命言った彼女だったけど、その答えもまた問題アリで。笑えてきて。
多分今頃、いい酒の肴にされてんだろうなとか思いながら、彼女の歩調に合わせて歩いた。
人並みの欲はあったけど、彼女を対象にする事は物凄い悪のように感じてて。歯止めになってた。
結局
「お兄ちゃん」
と言う立場に安住してた頃だと思う。彼女は不満かもしれなかったけど。
卒業試験と就業研修。肩で息しながら何とか走りきった感じ。ギリギリっぽいけど合格貰えて。
卒業と資格取得と就職決定。親父に報告したら、突然引っ越すように言われた。
アパートの持ち主が変わって土地が売りにだされるとかで、退居の要請が親父の方にあって。
敷金返還と引っ越し費用の負担の他に生活準備金?だったかを提示されてて。
親父は揉めるのも面倒だと感じてて。俺も無駄に時間取られるのは嫌だったから、
急な事だし住み慣れてたから残念ではあったけど、あのアパートを出る事にした。
彼女にその事話したら
「…また遠くなっちゃいます?」
予想通り、不安げな目向けられて。

「近くで探すよ。」
初めからそうする気だったから、普通に言ったら安心してくれて。
彼女が休みの日に、一緒に不動産屋行って。まず市営から近いと言う条件で探して貰って、
その中から俺でも払えそうだった家賃の物件を抜き出して。彼女に
「決めてよ。」
言って。

「私がですか?」

「いいよ好きなとこで。」

「決めちゃいますよ?」

「頼むよ。」

買い物にせよ何にせよ、何かを選ぶ事が苦手で。あのアパートに住むようになったのも、
学校に近い物件探して貰って一番最初に出てきた所が予算に合ったからと言うだけだった。
結果的にはその適当さのおかげで彼女一家と出会う事になった。不思議な縁だと思う。
時間かけて彼女が選んだのは普通の小さなマンション。いつも目にしてた建物だった。
部屋見たら小綺麗で。南向きで明るくて。家賃はちょっと高めだったけど、すぐ決めた。
またバイト先でトラック借りて引っ越し。本以外の家財道具は増えてなかったから一度で済んだ。
市営に近くなって徒歩で数分。お婆さんも心強いと言ってくれたし、良い選択だったと思う。
行き来が楽だから夜もギリギリまで居るし、一端風呂入りに帰ってまた来たりで。
お婆さんも一緒に食事するようになったけど
「ここは寝るだけかね。」
そんな事言って笑って。

「同棲の為の引っ越し?」
一人暮らしには広いからか、部屋見に来た連中に言われて、
毎日家に帰ってるから同棲じゃないけど一緒にいる時間長いから半同棲。勝手にそんな判定をされた。
もう一緒にいる事が普通だったから、誰がどう言おうと、どうでも良かった。
正式に採用決まって。新年度からの勤務も決まって。俺の配属された場所は高齢者棟。
仕事始めまで少し日数があったから、ギリギリまでバイトは続けさせて貰って。
最終日に送別会やって貰って。社長さんからは就職祝いまで貰って。気持ちよく送りだして貰った。
四月の頭からは病院での勤務。その職場は女性の方が圧倒的に多くて。体力腕力期待されて。
殆どリフト扱い。でもバイトで担いでた物よりは軽くて。体力的なきつさは全く無くて。
休みは不定期になったけど夜勤がある分休日の日数自体は多くて、自由になる時間も増えて。
けど何もしなくていい日と言うのが学生の時は殆ど無かったから、ちょっと暇を持て余した。
彼女は中三。進路の問題が再燃した。俺もお婆さんも彼女の説得はもう諦めてて。
彼女が就職したらできる限りの事はする。もうその位しか考えられなかったけど、
親父に
「楽観的すぎる」
と切り捨てられて。説得出来ないと言ったら、暫くぶりに怒鳴られた。

「お前が投げてどうするんだよ。あの子に何が出来るんだよ。」

返す言葉がなかった。
親父は九歳で父親亡くして。上のお兄さんの力添えがあって定時制高校と国立大学出た人で。
自分と似た境遇の彼女を、その頃の自分に重ねてた部分はあったと思う。必死な声だった。
おかんが彼女と話してだいぶ進学に傾いて。俺と行った職安で結構長く求人票漁った。
中学出てすぐの女の子が就ける仕事は限られていて。働いても得られる給料はたかがしれてて。
家族二人の生活を成り立たせる事は難しい。その現実を改めて見て知って。少し落ち込んで。

「フツーの生活って、難しいですね。」
働いて、給料貰って、それで生活すること。
それが彼女の言う普通の生活。あの頃の彼女にはとても難しい事だった。
彼女は生活保護受けてる事を凄く嫌がってて。その立場から早く逃れたくて、就職を急いでいた。
生活保護イコール貧乏とお母さんの死。彼女の中ではそんな方程式が成り立ってて。
普通の生活がしたい。その願いが焦りを産んでいる状態。俺にもそのくらいは感じ取れた。
部屋いる時の彼女は、俺の膝乗ってきたり、背中にくっついたりで。静かに悩んで。
何か言葉かけようにも、出来ない雰囲気で。結局撫でて。自分の不安をごまかした。
何日かして。学校行く前に来て。俺の
「おはよう」
より先に
「あと四年だけ、保護受けます。」

それで彼女の決意は解った。俺も
「がんばろ。」
だけ。彼女は
「頑張ります。」

そう言って、小さくお辞儀して。その彼女の頭ぽんぽんやって、送り出して。